2006年 06月 07日
ポールポジションブンブンブ~ン!!! F-1大好き伊藤です。 まーそんなウソはどうでもいいのですが、このまえR25を読んで、なんか感動したのでミハエル・シューマッハーについて書きます。 F-1て言えば、深夜番組終わっちゃって気づいたらF-1しかやってねーよーウゼー。か、アイルトン・セナがすげー、ぐらいしか知りませんが、そのセナのもつ記録をシューマッハーがやぶり、ついに史上最多の66ポールポジションを達成したそうです。 は~そうですかという感じですが、とりあえず、 ポールポジション?? なんか聞いた事あるなと思って調べてみました。 -------------------------------------------- ポール‐ポジション【pole position】 -------------------------------------------- 自動車やオートバイのレースのスタートで、最前列のいちばん内側の位置。 予選で最もよい記録を出した車に与えられる。 なるほど。 そういえばポールポジションってゆードラマ昔ありましたね。見てないけど。 確かアルフィーの歌でしたね。覚えてない。 そういえば、チンポジ、みたいなのりで、ポーロポジションが~。。みたいなこというヤツ、いましたよね。 ココから記事抜粋。 これで名実ともにF-1の歴史の頂点に立ったわけだが、その大記録を実現した舞台が12年前にセナがレース中のアクシデントで、この世を去ったイモラというのは何かの巡り合わせだろうか。 94年のイモラでセナという目標を失ってしまったシューマッハーにとって、以後、最大のライバルは常に自分自身であり、その結果生まれた数々の偉大な記録はそうした自分との戦いの足跡だった。 ことあるごとに「自分は記録のために走っているのではない…」と言い続けてきた彼が、セナの最多勝記録を破った時、思わず目に涙を浮かべていたのを、僕は今でも忘れられない。 本当は彼も「セナという時代」を正面から打ち破ってF-1の頂点に立ちたかったはず。 そしてセナもまた当時、日の出の勢いだった若きシューマッハーを迎え撃つために、勝てるマシンを求めてウイリアムズに移籍したはずだった。 しかしイモラのタンブレロコーナーでシューマッハーの目の前を走っていたセナのマシンは突然コースを離れ、そのまま永遠に手の届かない場所へ。。。 以来、シューマッハーは記録を相手に孤独な戦いを続けるしかなかったのだ。以下略。 セナが死んだのは伊藤が中学のときだったけど、死んでなかったらもっと記録を作ってたのだろうか。 シューマッハーはそしたらどうなってたんだろうか。 わかりま千円ですが、よくもまーがんばったなーと思って感動したのでした。
by wu-tang0814
| 2006-06-07 16:44
| てきとー日記
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